ぼんち揚の誕生と「ぼんち」命名の由来


ぼんち創業者:竹馬 治郎

ぼんち揚の誕生
(「米菓づくり一筋」〜創業者 竹馬治郎の軌跡〜)より抜粋

当時の中央軒(ぼんちの前身)は、もち米からつくるあられを本業としており、うるち米を使用したせんべいは製造していなかった。もち米の仕入に困り果てた竹馬が、草加せんべいに着目したのは、その頃であった。優良な生地を求めて、竹馬は雪の山形市に飛び、山形県の生地生産組合業者の名簿だけを頼りに探し歩いた。やっと生地の入手見通しがたち、当初は焼きせんべいを製造していた。

当時の食品包材では、揚げせんべいの品質保持が難しく揚げせんべいの商品は少なかった。揚げせんべいは、大阪では珍しく、消費者から歓迎される。こう考えた竹馬は「よし、揚げせんべいに挑戦しよう!香ばしいおいしいお米の揚げせんべいを!」

こうして竹馬の研究がはじまり、ぼんち揚の前身ともいうべき「揚小丸」を開発したのは昭和35年春である。さらに改良に改良を重ね、関西風な薄味で飽きのこない味付けに成功し、やっと大阪の市場に定着した。自信を深めた竹馬は、一層の拡売を考え、新しい商品のネーミングを考えた。

昭和38年頃、大阪の生んだ作家、山崎豊子が「のれん」「花のれん」に次ぐこの作者の「大阪もの」第3作「ぼんち」が週刊新潮で連載され、ベストセラーとなり、やがて映画(市川雷蔵)、舞台(中村扇雀)等もヒットした。
作者が単行本の「あとがき」の中で書いている、

「根性がすわり、地に足がついたスケールの大きな《ぼんぼん》 例え放蕩を重ねても、ぴしりと帖尻の合った遊び方をする男が《ぼんち》である」

竹馬はひらめいた。大阪で生まれた揚せんべい「ぼんち揚」と命名した。 ぼんち揚の誕生である。

テレビ、ラジオでやすし・きよし、明石家さんま、木の実ナナといった当時まだ無名のタレントを起用し、年々販売量も増加した。

「ぼんち揚」商品紹介もぜひご覧ください!