ぼんち揚の誕生と「ぼんち」命名の由来
戦後の販売拡大に苦戦
創業者・竹馬治郎は、第二次世界大戦の動乱で事業に大きな損害を受けたものの、終戦後の昭和27年(1952年)、ようやく大阪に株式会社中央軒(ぼんち株式会社の前身)を再興しました。
当時の中央軒はあられ造りを本業としていましたが、戦後の統制経済の中、原材料のもち米は入手が困難でした。そこで竹馬は、統制経済下でも規制を受けない「うるち米の加工品である塩せんべい」(草加せんべい)に着目。関西風の味付けの塩せんべいを製造、販売して好評を得ましたが、販売拡大は思うように進みませんでした。

大阪では珍しかった「揚げせんべい」で勝負
そんな状況を打破して、先行する地元同業者に対抗するために、竹馬はまだ大阪では珍しかった「揚げせんべい」で勝負に出ることを決意します。
「よし、揚げせんべいに挑戦しよう! 香ばしいおいしいお米の揚げせんべいを!」竹馬の揚げせんべいづくりの研究がはじまりました。昭和35年(1960年)の春に「ぼんち揚」の前身となる「揚小丸」を開発。さらに改良に改良を重ね、関西風の薄味で飽きのこない味付けを完成、大阪の市場に定着させることに成功しました。

命名の由来は、山崎豊子のベストセラー小説
「揚小丸」の成功で自信を深めた竹馬は、一層の拡販をはかるため、新しい関西風のネーミングを付けようと思いつきます。
そんな昭和38年(1963年)頃、大阪の生んだ作家・山崎豊子が「のれん」「花のれん」に継ぐ「大阪もの」第3作として、週刊新潮で連載した「ぼんち」がベストセラーとなり、やがて映画や舞台等も大ヒットしました。
山崎豊子はこの作品の単行本の「あとがき」でこう書いています。
「根性がすわり、地に足がついたスケールの大きな“ぼんぼん”、例え放蕩を重ねても、ぴしりと帳尻の合った遊び方をする男が《ぼんち》である」
竹馬はひらめきました――「大阪で生まれた揚げせんべい、『ぼんち揚』と命名しよう!」と。これが「ぼんち揚」の命名の由来です。

ぼんち揚は世界共通の味
ぼんち揚誕生直後の昭和38年5月、竹馬は見聞を広めるべく、ヨーロッパ菓子視察旅行に参加します。ミュンヘンの菓子屋で焼きあられとぼんち揚の両方を食べてもらったところ、焼きあられには全く反応のなかった店主から、ぼんち揚には大きなジェスチャーで握手を求められました。「ぼんち揚は世界共通の味だ」との確信を得た竹馬は、帰国後、ぼんち揚を会社の看板商品として販路拡大に奔走します。
その後、中央軒は東京への進出(昭和44年/1969年)を機に、社名をぼんちあられ株式会社に変更。さらに昭和59年(1984年)には現在のぼんち株式会社となり、現在の主力工場である神戸工場が稼働開始。以来、一心にぼんち揚を創り続けています。

ぼんち揚 歴代パッケージ
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初代(1963年~) ぼんち揚の最初のパッケージです。1960年~1962年までは量り売りで販売をしていました。
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二代目(1964年~) 赤色をアクセントに使ったモダンなパッケージにリニューアル。当時では珍しい英語表記を組み合わせています。
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三代目(1984年~) この年、「ぼんち株式会社」に社名を変更。パッケージデザインも一新しました。
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四代目(1986年~) お客様に「おいしさと鮮度」をお届けするために、業界でいち早く鮮度保持に優れたアルミパッケージを採用。
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五代目(2001年~) オレンジ色の楕円がぼんち揚のロゴマークに登場。今のぼんち揚に近いデザインとなりました。
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六代目(2014~2018年) ロゴやイメージカラーはそのままに、ぼんち揚がパッケージ全面に溢れるイメージのデザインにリニューアル。
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七代目(2018年~) 保存に便利なチャックが付いた、スタンドパウチにリニューアル。ぼんち揚の公式キャラクター、「ぼんちネコ」が登場し、より親しみやすいパッケージに。